CINÉMONO(シネモノガタリ)第十四話「マルタのやさしい刺繍」

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CINÉMONO(シネモノガタリ)第十四話「マルタのやさしい刺繍」
CINÉMONO(シネモノガタリ)第十四話「マルタのやさしい刺繍」

 映画を観終えたあと、アンナはしばらく黙っていた。『マルタのやさしい刺繍』のマルタは、年齢に遠慮することなく、自分の人生をもう一度、自分の手で縫い直していく。テーブルの上の糸巻きを指先で転がしながら、アンナはふいに言った。「私ね、いくつになっても可愛いおばあちゃんになりたいの」

 「アンナらしいね」とリュカは笑った。「好きな服を着て、花でも育てて?」アンナは首を振った。「それだけじゃないの。ちゃんとご機嫌でいたいの。誰かが来たらお茶を淹れて、一人の日には一人の時間を楽しむ。年を取ったからって、好きなものを諦めないおばあちゃん」

 「じゃあ、アンナの憧れはマルタ?」とリュカが尋ねると、アンナは少し考えた。「マルタも好き。でも、憧れはキキかな」「農夫のタッドのパートナーで、芸術家のアリス。みんなからはキキって呼ばれてるの。いつも陽気で開放的で、自由な空気を連れてくる人」

 その名前の向こうには、1920年代初頭のパリがあった。藤田嗣治やマン・レイ、モイズ・キスリングたちが集ったモンパルナス。多くの芸術家のモデルとなり、歌い、演じ、描いた女性。その由来はアリス・プラン、「モンパルナスのキキ」と呼ばれた人だった。「女王になりたいわけじゃないけどね」とアンナは笑う。「自由に生きて、年を取っても可愛くいたいの」

 今度はアンナが尋ねた。「じゃあ、リュカは?」リュカは少し考えてから、「タッドかな」と言った。「博識なのに、自慢しない。誰かといても、一人でいても、ご機嫌に過ごせる。静かだけど退屈じゃない。そういう人になりたい」アンナはうなずいた。「キキとタッド。ずいぶん違う二人ね」

 「でも、案外似てるのかも」とリュカは言った。「どちらも、自分の人生をちゃんと生きている」その言葉に、アンナはマルタを思い出した。針と糸を手に取り、人生の終わりではなく、その先を縫い始めた女性。憧れとは、誰かになることではないのかもしれない。好きな人たちの生き方を、自分の中に少しずつ住まわせることなのだ。

 「私の中にはキキとマルタがいる」とアンナは言った。「じゃあ僕の中にはタッドがいる」とリュカが答える。「いいじゃない。にぎやかなアンナと、静かなリュカ」窓の外では夕方の光が薄くなっていた。アンナは古い布を手に取った。「何を縫うの?」「まだわからない。でも、これからのことよ」そう言った横顔を見ながら、リュカは思った。アンナはきっと、世界でいちばん可愛いおばあちゃんになるのだろう。

▼ この物語に登場する映画
『マルタのやさしい刺繍』(2006年/監督:ベティナ・オベルリ)

※ 現実にある出来事や映画、モノゴトから生まれた架空の物語です。物語とともに、お店の世界観や登場人物たちのコーディネートもあわせてお楽しみください。

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