「お待たせ、リュカ」
思春期になる少し前、理髪師のリバーは『マイ・プライベート・アイダホ』を観た。リバー・フェニックスが演じるマイクを見て、初めて映画を観て涙を流した。自分の居場所を探しながら孤独を抱えるマイクの姿が、言葉にできなかった自分の感覚と重なった。それ以来、リバー・フェニックスから名前をもらい、自分をリバーと名乗るようになった。
ただ、マイクになりたかったわけではない。彼なら自分の孤独を分かってくれる気がした。半地下の古い理髪店で、リバーはリバーは十代の頃から、髪を切り、髭を剃ってきた。夜はジャズを演奏した。容姿やお店の佇まいから、「女性だったんですね」と驚かれることもある。けれどリバー自身、自分が男なのか女なのか、それさえよく分からなかった。鏡に映る自分を見ても、そこに男や女という答えを見つけることはできなかった。
リバーは、リュカと初めて会った日のことをよく覚えている。リュカの第一声は、「そのコート、LIFETIMEで買った?」だった。服の話からレコードの話になり、やがてジャズの話になった。そして帰り際、リバーは尋ねた。「そういえば、LIFETIMEってアンナも行く店だよね」。リュカが「アンナを知ってるの?」と聞いた。その一言で、何十年も途切れていた時間が、突然つながった。
それ以来、アンナはいつもリュカより一時間早く店に来る。リバーと二人で珈琲を飲み、レコードを聴く。昔と同じように、たいした話はしない。けれど、何十年離れていても、二人のあいだには説明のいらない時間があった。リュカが階段を下りてくると、二人は少しだけ距離を置く。そのことを、リュカは知らない。
その日もトキオはソファで眠っていた。リバーがレコードを替え、リュカが冗談を言う。リバーが珍しく声を上げて笑った。アンナはその光景を眺めていた。リュカはリバーを男とも女とも決めつけない。ただ、リバーとして見ている。それがリバーには心地いいのだろう。アンナにも分かっていた。
アンナとリバーは、見た目はまるで違うのに、笑い方や、黙っているときの癖がよく似ている。何十年ぶりにリバーと会った今も、それは変わらない。リュカも、ときどき二人を見比べるような目をすることがある。何かに気づいているのかもしれない。けれど、リュカは何も聞かない。アンナも、何も言わない。
リバーは何も言わず、レコードの針を落とした。
▼ この物語に登場する映画
『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年/監督:ガス・ヴァン・サント)
※ 現実にある出来事や映画、モノゴトから生まれた架空の物語です。物語とともに、お店の世界観や登場人物たちのコーディネートもあわせてお楽しみください。