CINÉMONO(シネモノガタリ)第四話「花様年華」

CINÉMONO(シネモノガタリ)第四話「花様年華」

 「『花様年華』みたいだね」アンナがそう言ったので、リュカは顔を上げた。「何が?」と聞くと、アンナは自分の着ているジャケットを見た。「このジャケット。好きだったのに、買うのを先延ばしにしてたんでしょう?」リュカは少し笑った。「よくわかったね」。「顔に書いてあるから」。アンナはそう言って笑った。

 少し前、店主に「今年は作らないんだ」と言われた。毎年、同じ型で、生地だけを変えて作っていたジャケットだった。今年はどんな生地になるのだろうと楽しみにしていたし、来年も、その次の年も、きっと作られると思っていた。「いや、正確には、作りたくても作れないと言った方がいいかな」。店主はそう言った。「でも、また別の生地で作ればいいんじゃない?」とリュカが言うと、店主は首を振った。ただ、「ごめんね」とだけ言った。詳しい理由を聞くのは野暮な気がした。

 アンナが着ているダック地のそれは、発売された頃とはずいぶん違っていた。袖には柔らかな皺が入り、肘やポケットの周りには、生地が擦れてできた濃淡がある。少しくたびれているのに、むしろそのことで美しくなっていた。「いい感じに育ったね」とリュカが言うと、アンナは袖を眺めた。「ずっと着てるから、よくわからない」。リュカには、その言葉が羨ましかった。発売当時の自分には、この服がこんなふうになることなど想像できなかった。

 アンナはジャケットの大きなポケットからノートを取り出した。脚本を書くのだと言って、ペンを走らせ始めた。リュカはその横顔と、年月を重ねたジャケットを見ていた。もし、あのとき手にしていたら。自分も何年も着て、こんなふうに育てられたのだろうか。そう思うと、少し悔しかった。

 けれど本当に悔しいのは、ジャケットを買えなかったことだけではないのかもしれない、とリュカは思った。「いつか」は、いつでも自分のところへやって来るものだと思っていた。だから、今でなくてもいいと思っていた。その考えを、誰にも知られたくなかった。日記にも書かなかった。それなのに、アンナの「顔に書いてあるから」という何気ない一言が、ずっと隠していたことまで見透かされたように、あとから胸に残った。

 袖口の皺も、擦れた生地も、もう自分には手に入らない時間だった。ジャケットに花様年華があるとしたら。リュカは、もう作られることのないジャケットを想った。もしあのとき手にしていたら。そんな考えが、頭の中を何度も行き来した。アンナがノートにペンを走らせる音だけが聞こえていた。リュカは何も言わず、その音を聞きながら、背を向けた。

▼ この物語に登場する映画
『花様年華』(2000年/監督:ウォン・カーウァイ)

※ 現実にある出来事や映画、モノゴトから生まれた架空の物語です。物語とともに、お店の世界観や登場人物たちのコーディネートもあわせてお楽しみください。
Anna(アンナ)コーディネート
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