CINÉMONO(シネモノガタリ)第三話「ゆれる」

CINÉMONO(シネモノガタリ)第三話「ゆれる」

 前の晩、アンナとリュカは家で西川美和監督の『ゆれる』を観た。映画が終わっても二人はすぐには立ち上がらず、暗い部屋にエンドロールだけが流れていた。しばらくしてリュカが、「明日、吊り橋に行ってみない?」とアンナを誘った。映画に出てくる橋とは違うけれど、近く吊り橋があるらしい。映画を観た翌日に、その映画を思い出させる場所へ行く。少し単純すぎる気もしたが、二人にとっては、出かける理由なんてその程度でよかった。

 翌朝、二人はダムへ向かった。雨上がりの山道には湿った土の匂いが残っていた。やがて吊り橋が見えてくると、リュカは少し足を緩めた。昨日観た映画の橋とは違う。それでも、橋の入口に立つと、なぜか映画の場面が重なって見えた。「映画を観たあとだから、そう見えるんだよ」とアンナが言った。リュカは「そうかもしれない」と、あのシーンを回想しながら答えた。

 二人が橋を渡り始めると、木の板が足元で軋み、歩くたびに橋がわずかに揺れた。リュカは映画のことを話した。兄弟の間にあるもの、言葉にできない感情、過去の出来事が現在まで残っていること。「映画って、いいよね。何かが起きたら、それが何だったのか分かるから」とリュカが言うと、アンナは少し考えてから、「それはどうかな」と返した。何かが起きても、そのときはそれが重要なことなのか分からない。あとになって振り返って、あれが始まりだったのかもしれないとか、あの日が最後だったのかもしれないとか、人は勝手に意味をつけているだけなのだという。二人はしばらく黙って歩いた。橋の下を流れる川の音が、会話の途切れたところを埋めていた。

 橋の中央で風が吹いた。吊り橋が大きく揺れ、リュカが反射的に手を伸ばした。アンナも手を出し、そのまま二人は手を握った。けれど、何か特別なことが起きたわけではなかった。二人とも少し怖かったから手を握った。それだけだった。橋を渡り終えて振り返ると、二人がいなくなったあとも橋は揺れていた。「映画なら、ここで何か起きるのかな」とリュカが言った。「たぶんね」とアンナが答えた。「でも、今日は何も起きなかったね」そう言って、二人はまた歩き始めた。映画のような出来事を期待していたわけではない。ただ、映画を観た翌日に橋を渡るという、少し馬鹿らしいことをしている自分たちが、二人には少し可笑しかった。

 帰り道、リュカが「お店に寄っていかない?」と言った。昨日の映画のことを話したら、店主が何か面白いことを言うかもしれない。アンナも一度は「行こう」と言ったが、少し歩いてから「今日はやめておこうか」と言った。すると今度はリュカが、「でも、せっかくだし」と言った。二人は行こうか、やめようかと話しながら歩いた。別にどちらでもよかった。行かなかったからといって何かが失われるわけでもないし、行ったからといって何かが始まるわけでもない。ただ、二人の気持ちが少し揺れていた。結局、お店へ行くかどうかは決めないまま、二人は山道を下った。

 その夜、京都の小さな店の奥で、店主は一人で仕事をしていた。昼間から何となく頭の中に残っていた映画のことを思い出し、ふと『ゆれる』のことを考えた。昨夜、自分が観た映画だった。映画の中の橋が、なぜか今日一日ずっと頭から離れなかった。店主は手を止め、窓の外を見た。そして、アンナとリュカなら、この映画を観たあとに吊り橋へ行くだろうと、なぜかその光景を思い浮かべることができた。

 昨夜、店主が一人で『ゆれる』を観ていたことを、二人はまだ知らない。

▼ この物語に登場する映画
『ゆれる』(2006年/監督:西川美和)

※ 現実にある出来事や映画、モノゴトから生まれた架空の物語です。物語とともに、お店の世界観や登場人物たちのコーディネートもあわせてお楽しみください。
Anna(アンナ)コーディネート
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