CINÉMONO(シネモノガタリ)第十一話「パラサイト半地下の家族」

CINÉMONO(シネモノガタリ)第十一話「パラサイト半地下の家族」

 リュカが髪を切る日、アンナは予約の一時間前に、ウエストヴィレッジのいつものバーバーへ行く。通りから数段下がった半地下の古い建物で、入口には壁一面のレコード棚と、年季の入ったソファがある。店主は昼は理髪師、夜はジャズマン。好きなレコードを自由に聴けるこの店で、アンナはいつも先に着き、ソファでリュカを待つ。

 その日、アンナは一人でレコードを聴いていた。すると、愛猫トキオが膝に乗ってきた。また丸くなり、やがて眠ってしまう。アンナは動かず、その重みを感じながら、レコードの音に耳を傾けていた。店には、外とは少し違う時間が流れていた。

 この店には独特の匂いがある。木や石、湿った地下の空気、ポマード、シェービングクリーム、長い年月に染み込んだ煙草の気配。店主は客に申し訳ないからと、入口にフレグランス消臭スプレーを置いている。けれど二人は使わなかった。この匂いも含めて、この店が好きだった。

 やがて入口のドアが開き、リュカが階段を下りてきた。外は三十五度を超えている。シャツの袖をまくり、額の汗を拭いながら、入口で立ち止まった。膝の上で猫が眠っているのを見つけ、少し笑う。アンナも顔を上げた。今日は暑さだけが違っていた。

 アンナは入口のスプレーを手に取った。普段なら使わない。でも、汗を拭うリュカを見て、今日はひと吹きしておこうと思った。甘い香りが広がり、古い建物の匂いが少し遠のく。リュカは何も言わず、汗を拭いたハンカチをポケットにしまった。トキオだけが眠り続けていた。

 その甘い香りが古い空気に重なったとき、二人は映画『パラサイト半地下の家族』を思い出した。あの映画では、匂いが人と人との境界を静かに示していた。半地下の湿気や、洗っても消えない身体の匂い。それは目には見えないのに、その人がどこにいるのかを伝えてしまう。この店も半地下だった。ただ、ここでは匂いは誰かを隔てず、古い建物と整髪料と音楽が混ざった、この場所の記憶だった。

 レコードの音が続いていた。アンナの膝ではトキオが眠り、リュカは汗の引いた顔で、次は何を聴こうかとレコード棚を探る。外はまだ熱気に包まれている。店の中には、さっきのフレグランスが残っていた。それも薄れ、木と石とポマードの匂いが戻ってくる。アンナはそれを感じながら、ここでは何かを消す必要はないのだと思った。古い匂いも今日の汗も、ジャズも、猫の寝息も。全部が混ざって、この半地下の一日になっていた。

 そのとき、奥から店主の声がした。「お待たせ、リュカ」

▼ この物語に登場する映画
『パラサイト半地下の家族』(2019年/監督:ポン・ジュノ)

※ 現実にある出来事や映画、モノゴトから生まれた架空の物語です。物語とともに、お店の世界観や登場人物たちのコーディネートもあわせてお楽しみください。

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