いつかノコト vol.3
LIFETIME通信 16 August 2026
ゆれる

(アンナ)パーカ・パンツ/
Another 20th Century、Tシャツ/
Tacoma Fuji Records、ハット/
Decho
(リュカ)パーカ・パンツ・Tシャツ/
Another 20th Century、帽子/
Golden Sombrero
前の晩、アンナとリュカは家で西川美和監督の『ゆれる』を観た。映画が終わっても二人はすぐには立ち上がらず、暗い部屋にエンドロールだけが流れていた。しばらくしてリュカが、「明日、吊り橋に行ってみない?」とアンナを誘った。映画に出てくる橋とは違うけれど、近く吊り橋があるらしい。映画を観た翌日に、その映画を思い出させる場所へ行く。少し単純すぎる気もしたが、二人にとっては、出かける理由なんてその程度でよかった。
翌朝、二人はダムへ向かった。雨上がりの山道には湿った土の匂いが残っていた。やがて吊り橋が見えてくると、リュカは少し足を緩めた。昨日観た映画の橋とは違う。それでも、橋の入口に立つと、なぜか映画の場面が重なって見えた。「映画を観たあとだから、そう見えるんだよ」とアンナが言った。リュカは「そうかもしれない」と、あのシーンを回想しながら答えた。
二人が橋を渡り始めると、木の板が足元で軋み、歩くたびに橋がわずかに揺れた。リュカは映画のことを話した。兄弟の間にあるもの、言葉にできない感情、過去の出来事が現在まで残っていること。「映画って、いいよね。何かが起きたら、それが何だったのか分かるから」とリュカが言うと、アンナは少し考えてから、「それはどうかな」と返した。何かが起きても、そのときはそれが重要なことなのか分からない。あとになって振り返って、あれが始まりだったのかもしれないとか、あの日が最後だったのかもしれないとか、人は勝手に意味をつけているだけなのだという。二人はしばらく黙って歩いた。橋の下を流れる川の音が、会話の途切れたところを埋めていた。
橋の中央で風が吹いた。吊り橋が大きく揺れ、リュカが反射的に手を伸ばした。アンナも手を出し、そのまま二人は手を握った。けれど、何か特別なことが起きたわけではなかった。二人とも少し怖かったから手を握った。それだけだった。橋を渡り終えて振り返ると、二人がいなくなったあとも橋は揺れていた。「映画なら、ここで何か起きるのかな」とリュカが言った。「たぶんね」とアンナが答えた。「でも、今日は何も起きなかったね」そう言って、二人はまた歩き始めた。映画のような出来事を期待していたわけではない。ただ、映画を観た翌日に橋を渡るという、少し馬鹿らしいことをしている自分たちが、二人には少し可笑しかった。
帰り道、リュカが「お店に寄っていかない?」と言った。昨日の映画のことを話したら、店主が何か面白いことを言うかもしれない。アンナも一度は「行こう」と言ったが、少し歩いてから「今日はやめておこうか」と言った。すると今度はリュカが、「でも、せっかくだし」と言った。二人は行こうか、やめようかと話しながら歩いた。別にどちらでもよかった。行かなかったからといって何かが失われるわけでもないし、行ったからといって何かが始まるわけでもない。ただ、二人の気持ちが少し揺れていた。結局、お店へ行くかどうかは決めないまま、二人は山道を下った。
その夜、京都の小さな店の奥で、店主は一人で仕事をしていた。昼間から何となく頭の中に残っていた映画のことを思い出し、ふと『ゆれる』のことを考えた。昨夜、自分が観た映画だった。映画の中の橋が、なぜか今日一日ずっと頭から離れなかった。店主は手を止め、窓の外を見た。そして、アンナとリュカなら、この映画を観たあとに吊り橋へ行くだろうと、なぜかその光景を思い浮かべることができた。
昨夜、店主が一人で『ゆれる』を観ていたことを、二人はまだ知らない。
※ 現実をもとにした架空の物語です。アンナとリュカは、今日もオンラインショップのどこかで活動しています。
Anna(アンナ)
43歳/160cm/56kg/脚本家/京都在住
インドからイギリスへ移住した祖父とポーランド人の祖母を持つ母と、日本人の父との間に生まれる。京都を拠点に脚本を書きながら、ドキュメンタリーや短編映像、ミュージックビデオなどの制作にも携わっている。人や街の何気ない瞬間を捉えることが好きで、特別な出来事よりも、日常の中にある光や音、表情に惹かれる。脚本を書くときには、物語だけでなく、その場の空気や映像まで自然と思い浮かべているという。流行よりも、ベーシックなものを長く愛用しており、自分の生活に自然と馴染むものを好む。京都で暮らすようになってから、撮影モデルとしてLIFETIMEに通うのが日課になっている。
Lucas(リュカ)
41歳/172cm/65kg/音楽家/京都在住
モロッコからフランスへ移住した祖母とフランス人の祖父を持つ父と、日本人の母との間に生まれる。京都で暮らしながら、ロック、テクノ、ジャズを融合させた環境音楽を制作している。音楽家としての活動はインターネット上に限られ、匿名のアーティスト名義で作品を発表している。海外にも熱心なリスナーがいるが、実際に彼の正体を知る人はほとんどいない。普段は穏やかで物静か。1950年代から1970年代に生まれたものや、その時代の空気を感じさせるものに惹かれる。服だけでなく、家具や道具、音楽に至るまで、そこに残る時代の匂いや佇まいを好む。制作の合間にLIFETIMEへ撮影モデルとして通っている。