CINÉMONO(シネモノガタリ)第十話「ブルーに生まれついて」

CINÉMONO(シネモノガタリ)第十話「ブルーに生まれついて」

 リュカが音楽制作を再開したのは、店主からお店で流すBGMをつくってほしい、と頼まれたことがきっかけだった。店のイメージを音に置き換えてほしい、という依頼ではなかった。むしろ逆だった。店が何かを主張するための音ではなく、そこにいる人が気づかないほど自然に、商品が背負ってきた時間や土地の匂いが漂う音。それが店主が必要とするBGMだった。

 訳もなく居心地がいい。気づけば店内の空気が少し深くなっている。古い道具を手に取ったとき、その傷や錆の向こう側にある暮らしを想像したくなる。服を試着すれば、その服がつくられた時代の風景がどこからともなく立ち上がってくる。そんなふうに、音楽そのものが前に出るのではなく、商品が語り始める瞬間をそっと引き出す。それが店内に流れる音の役割だった。

 リュカは映画『ブルーに生まれついて』を何度も思い出した。描かれているのは、チェット・ベイカーの1960年代後半、どん底からの再生と、そのために支払う代償だった。甘く、柔らかなトランペットの音とは裏腹に、依存症から逃れきれないひとりの人間の業が映し出されている。幸せになるためではなく、哀愁そのものを音にするために生まれてきてしまったような、あまりにも皮肉な運命だった。

 音を奏でるのは、いつも夜明けの少しあとだった。太陽が昇り、けれど街はまだ完全には目を覚ましていない。遠くを走る車の音、鳥の囀りが、ひとつずつ朝の輪郭をつくっていく時間。リュカは窓辺の植物に水をやり、それからギターに触れた。誰かに聴かせるためではなく、その日の最初の空気を確かめるように、ひとつの音を置いた。

 そして、いつもの服に着替える。製品名に掲げられた「レイドバック」は、チェット・ベイカーを見出したチャーリー・パーカーの代名詞でもある。力を抜くこと。急がないこと。音が鳴る前の時間まで含めて、音楽にすること。リュカはその言葉を思いながら、またひとつ音を重ねた。

 その日に奏でた音は、やがて店内で流れ始めた。誰かが立ち止まって「この曲は何だろう」と尋ねることは、ほとんどない。それでいい、とリュカは思う。古いもの、新しいもの、土地の記憶、誰かの手の跡。そのすべての背景に、名前のない音が気づかないほど遠くで鳴りながら、ふと商品に触れた瞬間だけ、過ぎてきた時間が語り始める。

 そんな朝を、リュカは淡々と繰り返している。窓辺の植物はいつの間にか背を伸ばし、葉を増やしていた。

▼ この物語に登場する映画
『ブルーに生まれついて』(2015年/監督:ロバート・バドロー)

※ 現実にある出来事や映画、モノゴトから生まれた架空の物語です。物語とともに、お店の世界観や登場人物たちのコーディネートもあわせてお楽しみください。

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